ご挨拶

一般社団法人網走青年会議所 2022年度 理事長

長 井 寿 公

 一般社団法人網走青年会議所が創立70周年を迎えるにあたりまして、創始より今日に至るまで途切れることなく歴史を紡いでこられ、ご尽力されてきた先輩諸兄姉の皆様、また日頃より青年会議所運動にご支援、お力添えを頂いております網走市を始めとします各関係機関並びに諸団体の皆様に厚く御礼申し上げます。
 網走青年会議所は、戦後の混乱の中で低迷していた日本経済が復興へと転じた1952年3月14日、田邊正英先輩を始めとする地元の青年経済人34名によって設立されました。それまで、GHQによる占領下におかれていた日本はこの年、「サンフランシスコ平和条約」と「日米安全保障条約」の発効により占領は解除され、日本は正式に国家としての全権を回復し新たな歩みを始めた年でもあります。まさしく「新日本の再建は我々青年の仕事である。」という志を掲げた若き青年達が先駆けの精神を持って、今日の日本の礎を築いてこられました。
 1947年の網走市市制施行から僅か5年後、全国で認証28番目、道内4番目という早さで、JCI日本のチャーターLOMである旭川青年会議所からスポンサーを頂いたなか、網走青年会議所は設立されました。
 当時網走市の人口が38,602人という5万人以下の小規模都市にもかかわらず、全国に先駆け設立された背景には、市内のインフラ整備、酷寒地の生活環境の改善など諸問題に対し、諸先輩方の地域に対する熱い思いと行動力、そして青年会議所があれば地域が必ず良くなるという抱いた夢は、現在に至るまで時を超えて連綿と我々現役メンバーへと受け継がれています。
 本年、創立70周年目という節目の年を迎えるにあたり、歴史を振り返るなかで創始の精神とは何かを今一度見つめ直し、開催テーマを「北天を駆ける」とさせていただきました。
 オホーツク文化の中心である網走の歴史のなかで、先駆的な取り組みから網走の「北天」を「駆けて」きた先人の夢を未来へと紡ぎ、先行きの見えない不安から人々の心に混迷をもたらす現代社会だからこそ、我々が先駆けとなって夢の実現に向けた運動を展開し100年、150年と続く団体として存続させていかなくてはなりません。
 最後に、一般社団法人網走青年会議所はこれまで多くの人に支えられ、人のつながりからこの街に新たな価値を創出し続けてきました。我々は、誇りあるJAYCEEとして、誰もが夢を抱き挑戦できる網走の創造に向け、誠意を貫き通し行動することをお誓い申し上げるとともに、今後も変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。

一般社団法人網走青年会議所 創立70周年実行委員会 委員長

新 谷 正 樹

 一般社団法人網走青年会議所創立70周年記念式典・懇親会の開催にあたり、時節柄ご多用の中、ご来賓の皆様、公益社団法人日本青年会議所役員の皆様、北海道地区協議会歴代役員並びに当年度役員の皆様、道内各地会員会議所理事長をはじめとするメンバーの皆様、網走青年会議所シニアクラブの皆様、多くの皆様にご臨席を賜りましたこと、心から厚く御礼申し上げます。
 田邊正英先輩は、窮乏極まる戦後の網走の発展に向け、青年会議所を創立されました。1952年3月14日全国で28番目、北海道で4番目となるLOMであり、5万人以下の人口規模では、全国で初のLOMであります。他地域と比較しても先駆的な動きであり、創立に向けての田邊先輩の類まれなる情熱と行動力、そして青年会議所があれば地域が必ず良くなるという夢がなければ、我が郷土に青年会議所が誕生することはありませんでした。
 その後も、戦後の市民生活環境改善運動や社会基盤整備運動、「育め郷土愛」という掛け声のもと青少年育成事業やまちづくり事業を展開し、先駆けの精神によって、時代に即し常にまちやひとに、より良い変化をもたらしてきました。1955年地方都市として初めて開催された第4回北海道地区大会の主管から、現在まで計6回の地区大会を主管し、多くの出向者を輩出するなど、先輩諸兄姉は網走だけにとどまらず、常に「明るい豊かな社会」の実現とは何かを熟慮され、行動されました。その偉大なる歴史と伝統の礎があって、今の網走青年会議所が存在します。
 人口減少社会を迎える中、青年会議所の存続が危ぶまれています。我々はこの70年の歴史を振り返り、先人や先輩諸兄姉に感謝の念を抱き、そして未来に大きな夢を抱いています。いつの時代も、青年の情熱と 行動こそが次の時代を創ってきました。私たちは、希望をもたらす変革の起点となり、まちやひとにより良い変化を起こし続ける存在として、これからも「北天を駆ける」ことを誓い、御礼の言葉とさせていただきます。