理事長所信
一般社団法人網走青年会議所
第75代理事長 守屋 嘉男
2026年度 理事長所信
「網走への誇りから 愛郷心溢れる地域の創造」
【はじめに】
網走駅前にて昭和初期から商いをする「モリヤ商店(旧カネヨ守屋)」の4代目社長の長男として生まれた私は、大学に入学するまでの18年間の少年期を網走のまちに育てて頂きました。まちに育てられるとは、私なりに、「美味しい地場食材」を食べ成長し「温かく時には厳しい大人」に見守られ善悪を学び「豊かな自然」から釣りや冒険を通じ感性を磨き、記述しつくせないほど様々な経験を享受し、都会での生活に旅立ちました。大学生生活が終わり、私の生き方が大きく転換したのは卒業後の社会人生活でのことです。卒業した商学部とはお門違いの「札幌グランドホテル洋食調理部」に将来網走で事業継承することを見据えての飛び込みでの武者修行を10年間行いました。それはもう、人権などない、当直の際には寝る時間すら鍋磨きや掃除を行なわなければ叱責される、JCにも通ずる修練の時間でした。しかし、つらい話だけではないのが人生です。職人生活を同じ環境で過ごす「仲間」が出来ました。「友」ではなくあえて「仲間」と記したのには明確な私なりの解釈があります。「友」は一緒にいて楽しく、人生のその時その時に生まれる関係であり一期間を共に過ごす関係、「仲間」とは苦行すらも共有し時には相手のために自身を犠牲にできる、切っても切り離せない一生の関係であると考えています。修行後は網走にて人生二度目となるスタートをきり、故郷で我武者羅に働いている中でJCの誘いがあり、2021年に入会を決断しました。祖父と父親が歴代であり、JCソングのメロディーが幼少期の記憶に刻まれて大人になった私が入会したことは、今思うと必然であり運命であったと感じます。網走のまちに生まれ育ち、酸いも甘いも知り尽くしたこの故郷で骨をうずめるには、網走青年会議所会員として自身が40歳を迎えるまでの青年期に修練し、通過すべき登竜門であると、アイデンティティが確立されていたからです。2022年入会から理事長を仰せつかった現在に至るまでにも様々な成長の機会を享受されるとともに、多くの全道で活躍する仲間との出会いの機会を与えられ、さらには、敬愛する先輩諸兄姉から受け継ぐ会員である誇りと責任が生まれました。共に修練した仲間は40歳で旅立ちますが、今後の私の人生に多く関与し関係は生涯続くと考えます。現在に至り、自身のJCライフでの今後における立ち居振る舞いを熟考したとき、今この時代における網走青年会議所の責任の請負人となり、次代への伝承者として組織再興隆と地域発展への運動に率先して邁進する決意と所信をここに記します。
JCが存在する「網走」であり続けること、つまりは課題に挑戦し続ける若者がまちに存在し続けているということ。
それこそが、網走のまちの礎であり底力、地域を持続可能なものとする原動力として存在し続ける必要があります。
【行動指針に基づく運動を推進する組織力】
2021年に策定し掲げた行動指針である中期ビジョンに付随された網走JC宣言は「誰もが夢を抱き挑戦できる網走の創造に向け、誠意を貫き通し行動する」という文言でありました。網走JCの運動はこの指針にぶれることなく展開され、2025年北海道地区大会 網走大会にて5ヵ年計画で取り組んだLOM中期ビジョンは全道へと伝播され集大成を迎える時が来ています。しかし、その後も永続的に組織として網走のまちに正対し続ける責任があり、さらに地域の明るい未来に向けた運動を加速させる必要があります。会員が英知を結集し議論を重ねた上で、今後5ヵ年で取り組むべき、未来を見据えたビジョンと行動指針を策定させ、組織内に確立させる必要があります。
そして、網走JCが崇高なビジョン掲げ運動を展開しても、すぐにまちは変貌を遂げることはありません。LОM中期ビジョンは振れることない運動を展開するための行動指針でしかなく、我々が展開する運動のエネルギーが小さいとまちへの効果も加速度的に高まることはあり得ません。市民意識変革団体として存在するうえで、存在意義に市民の共感を得るという目標の達成には程遠い現状であるが故に、まずは、会員拡大を確実に実現させ、3年後には在籍会員が4名になる悲観的な考えを抱かざるを得ない現状を打破し、会員の組織存続に対する悲観的な考えを払拭することで、明るいまちの未来に向けた運動への気概を高めることにつなげます。20名の会員会議所が主管した地区大会は成功裏に終えることが出来た、本当の意味での組織力を「拡大」に一点集中させ組織の再興隆に向けた活動を展開してまいります。その成果こそが、網走JCの未来を開拓し、つまりは網走のまちの未来を明るく照らす希望となるのです。
また、会員拡大に伴い、重要なことが新入会員へのサポートです。新たな風が組織内に生まれ、網走JCが再興隆することは私の夢でありますが、それと同時に、私が惚れ込む歴史と伝統を重んじるJCの在り方を守り続けることが大切であると考えます。世の中では「働き方改革」「ゆとり教育」をはじめ、社会における人びとの価値観は変化し続けています。戦後や高度経済成長期の激動の時代を生き、今の日本の基盤を築いた世代には、ある意味で想像もできなかった新たな価値観であると思います。決して世の中の流れを全否定する訳ではございませんが、JCにはこの手の考えの真逆を、あえて歩み続ける崇高さと美学があると思っております。青年経済人としてJC活動以外では会社の役職に就くものとして、どちらも正解であることは理解しながらも、理解してしまうことで何か大切なものを失うことが安易に想像できるからです。奉仕・友情・修練の三信条に基づき実直な姿勢で社会貢献する団体である、JCの本質的な価値を理解し、JAYCEEとしてまちの未来のために率先して行動できる人材育成に継続して取り組む必要があります。
【市民の希望となる 総務広報】
「温故知新」故きを温ねて新しきを知る。
まずは総務についてです。私は入会2年目に総務広報委員会の委員長として至極当然の担いである、計画議案に記載したSNS投稿スケジュールと記録保存等、そして、情報共有ツールの作成・管理のタスク処理に追われ、気付けば1年間が終わっていた、少し後悔が残る経験を網走青年会議所でしました。当時の私には、記録保存や会議の設えをはじめとする裏方的な活動する際に、作業効率を上げ、例会の計画などの本当のJCらしい運動に時間を割くゆとりは一切ありませんでした。しかし、今現在は当時とは状況が変化しています。写真の保存や動画の整理・議事録の作成はAIを活用すれば大幅に効率化でき、対外に発信するSNSの投稿記事すらも要点となる情報の入力と、確認作業さえ怠らなければ会員が作成したものに引けを取らない、もしくはそれ以上の出来栄えが提示される時代となりました。全ての依存は決して良いことではないですが、会員の青年経済人としての社業や日常生活にも影響を与える革新的な技術を習得し活用する機会を、総務の諸作業を通じ会員が提供されることはまさにJCのあるべき姿だと考えます。総務はまさに、先輩諸兄姉から脈々と受け継がれる実直な姿勢を学びつつ、時代に合わせ変化していくべきなのです。
広報の本質は、「発信すること」ではなく、「発信のその先での効果を知ること」にある。成果から喜びが生まれ、気概が高まる。そんな広報を展開しよう。
「市民へのアプローチの仕方」「広報の検証の仕方」「数値目標の設定根拠」「効果を最大化させる広報ツールの選定」広報に関わる事業計画や決算において毎年問われ続けるが、答えが明確にならない議論が生じていることを、理事会に出席した方なら誰しもが経験し、もどかしさを感じたことがあるかと思います。簡単には答えが出ない議題に対し、会員が議論に時間を十分に要した後、その結果を総意として取捨選択していく手法は、JCのあるべき姿であります。その点を十分に理解したうえで、新たな選択肢として、手法をAIに選択させ、一年間のデータ集積から今の時代に合った広報の実証実験をしてみることを提案します。単年度制であるがゆえにできる新たな挑戦をしてみるのも青年会議所らしい試みであると私は思います。
2023年は多彩な生成AIソリューションが市場に登場し、企業界全体で積極的に導入が検討・推進されたことから、「生成AI元年」と呼ばれています。その時から2年が経過した現在において網走JCに所属する会員の中でも生成AIを活用し、案内文や議案内に添付する参考資料の作成をする現状があります。膨大に蓄積されたデータから生成される内容は、委員会や理事会での議論から導かれる広報手段を結果的に凌駕する可能性は大いにあると理解しています。新たな試みを実践し、しっかりと市民の声を収集したうえで効果を検証し、網走青年会議所の広報の将来に役立つデータの集積と、一年間取り組んだ成果の検証から次代へとつなぐ広報の在り方に一石を投じ、持続可能な情報発信の在り方を再考したいと考えています。
総務が展開する広報が、市民の目に触れ、活動に対して市民の共感を生むことで、我々の明るいまちの未来実現に向けた活動・運動に共鳴する市民が増加し、その輪が広がることでまちのために一歩踏み出す市民の増加し、まちの未来への希望となると信じています。
【北方領土返還を決して諦めない組織】
日本青年会議所の北方領土返還運動は、1970年(昭和45年)に第1次北方領土現地視察団の派遣から始まり、その後も北方領土問題をテーマとするフォーラム開催や、地域・全国レベルでの署名活動など、活発な取り組みを全国的に展開してきました。網走JCも同じく、実直な姿勢で毎年、市内各所で署名活動や、会員が領土問題を学び当事者意識を高める機会を設けてきました。戦後80年を迎え、元島民の数は少なくなり、2世、3世が先代の想いを受け継ぎ、様々な団体が今も返還に向けた運動・活動を根気強く、そして、高い気概を持って展開しています。一方で、道民・網走市民の北方領土返還に向けた意識の現状を考えたとき、ロシア・ウクライナ戦争などの影響で日ロ関係が悪化し、北方領土問題への関心が薄れる懸念があります。今だからこそ、希望を捨てずに、国民世論を一層強化する必要があると考えます。我々が領土問題解決まで、決して諦めることなく運動を継続することで、返還運動の灯は世の中から消えることは決してなく、同時に、網走JCが存続し続ける限り、北方四島が返還されるその時を迎えるまで、市民の問題に向けた当事者意識の低下を抑制することが必要であると考えます。市内各種団体・行政との連携・参画し、問題解決に向け本年度も会員の気概を落とすことなく組織を牽引し、邁進していく所存であります。
【愛郷心の増大から「誇るべき故郷」と感じさせるまちづくり】
網走を知り 網走を誇り 網走を愛す
網走で生活を営む市民は、客観的にまちを見つめる機会から、網走のすばらしさの本質を実感する機会は稀であると私は考えます。市民に「網走のどこが好きか」を問うと、美味しい海産物・災害の少なさ・自然の豊かさが真っ先にあがります。では、令和5年に網走を訪れた観光客122.3万人はどうでしょうか。流氷観光や旬の食はもちろん第一に挙がるでしょう。しかし、同時に市民が「あたりまえ」と思う風景や文化財はどうか。例を挙げるとすれば「感動の径」であります。畑の中を通る一本の道であるが、それだけなのに観光客が感動できるのが感動の径です。どこまでも続く丘が四季折々に美しい田園風景を映し出し、白い花が風に揺れるジャガイモ畑や黄金色の小麦畑を観て、来訪者は感動します。「さくらの滝」「監獄博物館」「網走市内から一望する知床連山」もしかりです。網走市民があたりまえに認識していて、普段の生活で特段気にすることのない文化や風景が、客観的な視点でとらえるとともに本質的な価値の認識から誇るべき財産であることに気が付くでしょう。何よりも目に触れず認識しにくいものと私が考えるのは、人とひとのつながりや先人から受け継がれる気概や精神であると思います。網走市民は「先駆けの精神」をもつことから、周りよりいち早くいいものを取り入れたがる、そんな風潮があります。網走JCが人口5万人以下の都市ではじめて誕生したのもこれに起因するものと考えます。その、目には見えないものを見ることができる、そして、感じることができる機会を我々が創出し、先人たちの想いや苦労の礎の上に「現在の自身の生活」が成立していることに感謝するとともに、網走市民である誇りが生まれ、郷に対する帰属意識が醸成されていくと考えています。市民に向けた運動には様々なアプローチがあることを踏まえたうえで、先人の想いを認識し、網走のまちの本当の価値の真髄を市民に認識させることが、今私が考える、明るい豊かなまちの未来に向けた運動だと考えています。多くの魅力があるまちの魅力の認識から、まちに対する愛郷心を増大させ、帰属意識の高まりに寄与する運動を展開します。そして、運動への共感から、網走に住まう大人世代に、まちの未来に責任があることを再考させ、市民意識変革を起こします。
【さすが網走と言われ続ける組織であるために】
2025年度に開催された第74回北海道地区大会網走大会の主管を経て、会員一人ひとりが主催との連携から一貫した事業構築により多くを感じ、そして、多くの試練を乗り越えたことで成長を遂げたことを私自身実感しています。全道の会員会議所から網走大会に参加した会員や地区役員は、網走青年会議所の気概と覚悟を見届け、20名での地区大会主管を実現させた事実は歴史に刻まれることとなったでしょう。
そんな網走青年会議所だからこそ、創立75周年記念式典に向け盤石な準備を重ねて、来賓をはじめとする対外参加者を迎え、「さすが網走」と感じてもらえる式典を、あたりまえとして設えられる、そんな組織でなければならないと、私は思います。
「井の中の蛙大海を知らず。されど空の深さを知る」と荘子の著した故事成語の「蛙」の様であった網走青年会議所の会員は、地区大会主管を終えた今は前述の面影もなく、視野は鷹のように広く、しっかりと目標を定め、躍進できる人財へと変貌を遂げました。次の目標に向け、仲間が手を取り合い、一丸となり邁進する組織づくりに努めてまいります。
【終わりに】
「身の丈に合った活動・運動をしなさい。」
私の嫌いな言葉です。2025年度、第74回北海道地区大会網走大会の主管として連日連夜の作業に明け暮れる中、関係者に言われた一言であるが、今も私の脳裏に焼き付いています。理由は明確で、言葉どおりに行動することは自身にとっても組織にとっても楽であり、できることならそうしたいと内心では思いつつも、それは誤りであると理解しており、葛藤の末に突き進むことを選択しました。網走青年会議所において組織の限界の線引きを、挑戦の前にすべきではないと判断したからです。地区大会の主管は紆余曲折があったものの、決議の際は自身も参加した会議の中で全会一致にて承認されました。私の当時の内心は、心底穏やかではなく、その後には主管実行委員長の役職まで自身に課されました。役を受ける際に、まず考えたのは、社業のことと幼い3人の息子たちのことでした。
そんな中、自身の背中を押したのは、青年会議所の会員である責任感と、長い歴史から築き上げられた網走のプライド、そして網走青年会議所への愛郷心であったと断言します。
利己主義者であり、放漫であった自身は、なぜ入会から5年でここまで変わったのか。5年前の自身では考えられない変化を実感しています。
答えは明白です。
網走JCで成長し、多くを学び人間として成長したから。
経済的にも独立し、不自由を感じない生活を営んでいるなかで、あえて40歳手前で修練し、肉体的・精神的・時間的にも負荷をかける意義には、各々が導き出す答えが必ず創出されます。JCはそんな組織であると私は確信しているからこそ、この組織の未来、まちの明るい未来のために全身全霊で「仲間」と邁進していきます。
さあ。全員で「群青色の青春」を謳歌しようではないか。
何事にも夢中になれたあの頃のように。まっすぐに。
